リチャ正 小説

中田正義と美貌の魔法使い

――金曜日の午後。
目前に迫ってきた休暇を前に生徒たちがそわそわとする中、中田正義だけは話題に加わらず予習に専念がなかった。あと五分後に始まる魔道具学は、数ある魔法学の中でも難度が高いと評判で、初級編、中級編(前半)、中級編(後半)上級編(前半)と、五段階にも分かれており、初年度の初級編はまず生徒の大半が落とすと評判で、初級編と言えども二年かけて学ぶのが通常だ。それと平行して中級編(前半)も学ぶのだから、この魔法学校は留年も決して珍しくない。そもそも、難しいのはこの魔道具学だけではない。どの学問にも鬼門となる課題がある。
……特に有名なのは、世話をする際にうっかりお辞儀を忘れてしまい、とある魔法生物に嫌われてからというもの、魔法生物学の実技単位を落とし、就職も失敗、恋人にもフラれ、と人生にケチがついて回った、という逸話だろうか。
――そんなのは絶対にイヤだ!
正義は絶対に魔法省に入り、一生を安泰に過ごす、と決めているのだ。正義が鉛筆を握り直したとき本鈴が鳴った。同時にドアが開き、教授と助手が入ってくる。
「はい、では授業をはじめます。前回の続きを開いて」
と指示棒で黒板を叩く教授の横でサポートに入っているブロンドの助手に生徒たちの目が一度は釘付けになる。
リチャード・ラナシンハ・ドヴルピアン助手だ。
弱冠二十一歳という年齢で魔道具学助手の座についた才人で、魔法の腕前も相当なレベルだと聞く。座学も優秀で、卒業まで試験において二桁の順位になったことがないそうだ。
そんなエリートなのに、偉ぶったところはひとつもない。魔道具学について、教授の説明が足りないところは授業後に補講という形で教えてくれるし、それがまた分かりやすかった。補講後の質問会はいつも人だかりだったが、リチャードはひとりひとり誠実に対応していた。その中にはリチャードにほの字の生徒も散見されたが、それも致し方ないだろう。多感な時期にこれほどの美男に出会って、心の琴線に触れないはずがない。その点を責めるほどリチャードは狭量な大人ではなかった。
が、今日はいささか怒りに触れたらしい。
それというのも――。
魔道具学の授業終了後、あとは放課後とあってリチャードの周りには生徒の渦ができあがっていた。リチャードはひとりひとりの質問にテキパキと答え、列を裁いていく。だから正義はいつもなるべく最後尾に並ぶようにしていた。そうすれば少しでも長くリチャードと喋っていられる。もっとも同じ考えを持っている生徒は何人もいて、最後尾を牽制し合うのが恒例行事だった。
で、今日は正義が最後尾を取れた。誰もいない講義室で質問をするのは良い気分だった。リチャードの声がよく響くからだ。正義の質問にリチャードは事細かく答えてくれ、今日の疑問はすっかり解けてしまった。
「ありがとうございます、これでよく分かりました」
「正義は魔道具学に熱心なようですね。どうですか、難しいですか?」
リチャードはどの生徒も下の名前で呼ぶ。彼のポリシーだそうだ。名字で呼ぶとどうしても家名が気になりますので、と以前言っていた。リチャードが言ったことは正義はひとつも忘れないようにメモを取っているのだ。
「リチャード先生が丁寧に教えてくれるから、なんとかなってます」
「私はまだ先生ではありません。言葉遣いは正確に」
「はい」と返事をしてから正義はリチャードの顔を見つめた。自分と同じ人類という枠にいるとは思えない美貌だ。魔法薬で作ったという方がまだ真実味がある。リチャードの造形に憧れて、『リチャードの顔になれる変身薬』が生徒たちの間で闇取引され、こっぴどく先生方に怒られたのは記憶に新しい。
「どうしましたか、正義」
「綺麗……」
リチャードが小首をかしげる。正義は急いで付け加えた。
「リチャードは綺麗だ」
するとリチャードの頬がぴくっと引きつった。まるで白磁の瓶にヒビでも入ったかのように。そして一つ咳払いするとリチャードはこう切り出した。
「正義、言うべきことが三つあります」
「はい」
「まず、私に対してはリチャード助手、です。呼び捨ては示しが付きません。次に私はあまり外見について言われるのは好みません」
ここまで言うとリチャードはつり上げていた目尻を下ろし、正義に優しく微笑む。
「でも、あなたが心からそう思ってくれた。その感想を言うことまで止めることはできない。分かりますか?」
「すいません、俺、バカだから分かりません」
「私の関心を引くためでなく、感想として言う分には構わない。そういうことです」
……そんなことを言われても、だ。
心の内など、いくら凄腕の魔法使いであるリチャードだって読めないだろう。それとも毎回自己申告させるのだろうか? ますます分からなくなってきた。でもリチャードを綺麗だと感じたのは本当だ。関心を引く? そんなことは考えたこともない。
「俺、リチャード助手は、綺麗だ。それだけ言いたかったなんだ。リチャード助手を傷つけたいなんて思ってない……」
「分かっていますよ、あなたの目を見れば分かります」と言ってリチャードは正義の肩を軽く叩いた。「もし魔道具学にご興味があるなら、今日の夜にでも私の部屋にいらっしゃい。魔道具学について教えて差し上げます」
あなたのように毎回、目を輝かせて受講する生徒は珍しいですから、とリチャードは魅惑の微笑みを浮かべた。正義は絶対に行きます、と言って鼻息荒く寮に戻り、すぐさま課題を片付け、夕食をかき込んだのだった。

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